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野地吉蔵から安井益男への手紙の現代日本語訳 1916年4月30日

1916年4月30日付、野地吉蔵から安井益男への書簡の現代日本語訳。野路は、妻の渡米を手配してくれた安井に感謝している。野地は1916年7月12日、ワシントン州シアトルで妻・アサヨと結婚した。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Noji, Kichizo, 1884-1968

松井頼定から安井益男への手紙の現代日本語訳、1927年3月8日

ポートランド領事館の松井頼定から安井益男への1927年3月8日付けの手紙の抜粋部分の現代日本語訳。 この手紙の中で松井は、日米親善を促進するための昼食会の効果について述べ、このイベントを報じた新聞記事が、排日土地法の緩和に関する世論に影響を与える一歩となったことを指摘している。また、排日土地案に反対しているフレッチャー下院議員に会うため、インディペンデンスに行く予定であることを述べている。また、オレゴン州ザ・ダレスでの日本語学校建設に関する最新情報も書かれている。松井はこの手紙では肩書きも領事館の公式文具も使っていない。              
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Matsui, Yorisada

木下利から安井益男への手紙2通の現代日本語訳、1918年

木下利から安井益男への手紙2通の現代日本語訳。最初の手紙では、木下が休戦記念日のシアトルでの活動を紹介し、スペイン風邪の状況について述べている。そして、日本に帰国するための出国許可証の到着を待つ間、益男に経済的援助を求める。2通目では、スペイン風邪がシアトルに与えた影響と妻の回復について述べ、益男の妻の安静と療養を願っている。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Kinoshita, Tadashi

志藤定太郎から安井兄弟への手紙の現代日本語訳

志藤定太郎が安井兄弟に宛てた手紙の現代日本語訳。志藤がシアトルから横浜に向かう途中、海が荒れて10日ほど到着が延びたこと、米国に帰国する予定があることなどが書かれている。手紙は1月5日に書かれたものだが、年は特定されていない。1920年から1940年の間に書かれたものと思われる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Shido, Jotaro

岡崎恕平の住民票申請書下書きの現代日本語訳、1916年11月

在ポートランド日本領事館に、家族の用事で日本に戻るための臨時パスポートの発行を依頼する岡崎恕平の在留届のコピー(下書き)の現代日本語訳。岡崎は香川県から移住し、オレゴン州フッドリバーに住居を構えていることが記されている。この書類と2枚目の草稿は安井益男が保管しており、安井が岡崎にこの申請を手伝ったものと思われる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Okazaki, Johei, approximately 1884-

小田梅七から安井益男への手紙の現代日本語訳、1924年頃

2月8日付の小田梅七から安井益雄への手紙の現代日本語訳。この手紙の中で小田は、暖かい春の到来とは対照的に、カリフォルニアの反日法がもたらした冷たい感情を論じている。また、3月か4月に日本へ帰国するため、金融機関の連絡先を教えてほしいとも書いている。この手紙は2月8日に書かれているが、年は特定されていない。カリフォルニア州の1924年移民法について触れていることから、1924年に書かれたものと思われる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Oda, Umeshichi

安井静代から安井剛とミキへの手紙の現代日本語訳。

安井静代から安井剛とミキへの9月5日付けの手紙の現代日本語訳。この中で静代は、家族としてのモージャーの農園を含む資産売却の契約条件や、弁護士との契約交渉について述べている。また、益男の仮釈放を求める手紙を書くなどの、自分と家族の努力についても触れている。そして、トシオ、稔、録、ホーマー、由加の近況についても触れており、稔が陸軍に入れなかったことに失望していること、トシオが司法試験に合格しなかったため稔とトシオが一緒に法律事務所を開設しようとの努力が実らなかったこと、ホーマーがミネソタ大学に入学すること、由加がウィスコンシンに行く予定であること、などを報告している。静代は、益男が1月までに帰宅できなければ、剛のところに戻るか、ミニドカのキャンプに行くことになるだろうとも書いている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Shidzuyo, 1886-1960

安井稔の履歴書の現代日本語訳

フッドリバー市の日米共栄協会理事長猪佐猪之助から1940年2月15日付けで在ポートランド帝国領事館宛に送られた、安井稔の履歴書の現代日本語訳。同文書には、オレゴン州弁護士資格試験に合格し、オレゴン州弁護士資格を取得したことなど、稔の学歴や業績が記載されている。また、オレゴン大学ロースクールからの英文の推薦状も添付されている。           
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Minoru, 1916-1986

安井益雄の履歴書とカバーレターの現代日本語訳、1939年

在ポートランド日本国総領事館の依頼により、安井益雄が日本工業会から日米関係改善への卓越した努力に対して贈られる賞への推薦に関して作成した履歴書とカバーレターの下書きの現代日本語訳。履歴書には、益男の日本での教育、渡米の理由、渡米後の経歴、コロンビア殖産会社の設立、オレゴン日本人会の設立、反日土地排除法案の成立阻止活動、日米協会の設立、日米工業協会から産業功労賞の受賞など、幅広い地域活動への参加などが記されている。また、安井兄弟の事業概要が添えられ、在ポートランド日本国総領事館へのカバーレターも含まれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。未翻訳の最後の2ページには、カバーレターの第2稿が含まれている。

Yasui, Masuo

安井益雄から浅井佐五郎への手紙 1946年1月18日

1946年1月に安井が出所した直後、安井益雄から浅井佐五郎に宛てた手紙の英訳。この手紙の中で安井は、浅井の友情に感謝し、第二次世界大戦中の日系アメリカ人の強制連行・強制収容に対する悲しみを述べている。また、オレゴン州フッドリバーのアメリカ退役軍人会が、地元の記念碑から日系人兵士の名前を削除した事件についても言及している。また、浅井の息子である正巳が米軍に入隊し、白人住民の反対を押し切ってフッドリバーに帰還したことを賞賛する。また、自分もフッドリバーに戻りたいという希望を語っている。翻訳注:この手紙は、原文と英訳もある。

Yasui, Masuo

安井益男のフッドリバー・アップル生産者組合理事への再選を知らせる手紙の現代日本語訳

安井益男がフッドリバー・アップル生産者組合の理事に最高得票数で再選されたことを知らせる手紙の現代日本語訳。また、協会の歴史や開票結果の補足についての概要も記載。3ページ目から5ページめには手紙の大まかな下書きが含まれている。
翻訳注:手紙の最終稿の原文と英訳も掲載されている。

Apple Growers Association (Or.)

安井益男が日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書きの現代日本語訳、1917年3月21日

安井益男が赤松(赤松祐之)日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書きの現代日本語訳。この手紙はフッドリバーの日本人住民一同からとして書かれたもので、オレゴン州上院議員ジョージ・R・ウィルバー氏(フッドリバー在住)が提出した日本人のオレゴン州での不動産所有を制限する法案を撤回するよう赤松領事が尽力したことに感謝する旨が述べられている。この法案は、カリフォルニア州で可決された同様の法案に倣ったものであった。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から金三商会への手紙の現代日本語訳、1917年2月10日

1917年2月10日付の安井益男から金三商会への手紙 。この手紙の中で安井は、カルシウムコーティングされたファンシーライス50俵の注文をし、米袋に安井兄弟の商標ロゴをステンシルすることを要求している。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から藤本廉一への手紙の現代日本語訳 1930年10月26日

安井益男から藤本廉一への1930年10月26日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で益男は、不況とその一般商業界への影響、今年の林檎と梨の収穫と市場、安井兄弟商会の新しい建物の正面ショーウィンドウの交換と歩道のリニューアルや2階の工事、レストランとガソリンスタンドのある新しい建物の賃貸契約、地価上昇につながるフッドリバーの街の外観に関する考察、柿沢氏からの長く熱い手紙を受け取ったこと、などを伝えている。その他の話題としては、廉一の米国への再入国に関するアドバイスや、町、家族、友人、果樹園の製品、ビジネス等の近況などが含まれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から藤本廉一への手紙の現代日本語訳

安井益男から藤本廉一への手紙の現代日本語訳。この手紙の中で益男は、不況と市場への影響について、日本の経済状況と比較しながら最新情報を伝えている。そして、家族が農業の収入でなんとかやっていけることに感謝し、来年、再来年には景気が回復することを望んでいると述べている。また、安井ブラザーズ・マーカンタイルの新ビルの2階工事の進捗状況や、最新式の街灯、テキサコ・ステーションの成功、2~3年以内の郵便局建設など、街の変化についても最新情報を伝えている。その他の話題としては、一般的な経済状況、教会や友人に関する最新情報などが含まれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から藤本廉一への手紙の抜粋部分の現代日本語訳、1930年7月22日

安井益男から藤本廉一への1930年7月22日付けの手紙の現代日本語訳。 この手紙の中で益男は、敬が蚊に刺されたことが原因で病気になったが快復したこと、安井兄弟商会の新店建設の進捗状況と旧店を取り壊す前に全てを移転する予定、建物の特徴や空間の分け方、その年の不況を踏まえた総事業費等について述べている。また、家族、果樹園の商品、ビジネスに関する最新情報、反日感情の高まりに対する懸念、廉一が使用するべき英文レターのサンプルも含んでいる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から片岡喜親への手紙の現代日本語訳、 1921年4月9日

安井益男から片岡よしちかへの1921年4月9日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で益男は、オレゴン州議会での土地排除法案の提出について述べている。法案が下院を賛成多数で通過したが上院を通過しなかった唯一の理由は、上院議員が日米交渉期間中に法案を一時延期するよう指示されたからだと述べている。益男は、立法府が近い将来反日法を可決してしまうのではないかという懸念を表明し、そのような排日法が近隣のカリフォルニア州やワシントン州ですでに存在しているという事実に注意を喚起した。彼は最後に、最後まで懸命に闘う決意を述べ、アメリカ人はどうしてこの国を公正で人道的な国家と呼べるのだろうかと疑問を投げかけた。その他の話題としては、共通の知人の近況、果樹園経営の難しさ、反日感情の高まりへの懸念などが書かれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から平岩淳三郎への手紙の現代日本語訳、1921年7月27日

1921年7月27日付の安井益男から平岩淳三郎への手紙から抜粋されたものの現代日本語訳。この抜粋部分では、オレゴン州議会での日本人排斥法案の状況について、益男は、法案が下院を多数で通過したものの、上院で僅差で否決されたことを指摘。また、カリフォルニア州やワシントン州では、すでに厳しい排日法案が制定されていることを強調し、近い将来、同様の法案が再び登場すると考えていることを述べている。続けて、労働賃金が下がり、一部の農産物が無価値になるなど、景気の低迷とビジネスの停滞について述べている。さらに、家族の近況、リンゴ市場の状況、反日運動の圧力など、さまざまなトピックが盛り込まれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から安井泰逸郎への手紙の現代日本語訳、1930年12月31日

安井益男から安井泰逸郎への1930年12月31日付けの手紙の抜粋部分の現代日本語訳。その中で益男は、剛と稔が年賀状発送を手伝ってくれている状況を描写し、今年最初の寒い夜であると伝えている。続けて、今年の不況がビジネスにどのような影響を及ぼしているのかについても述べている。益男はまた抜粋以外のページで、旅行や思い出、共通の知人の近況について書いた泰逸郎の手紙を読んでの感想を述べている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井剛と景山美喜江の結婚式への招待状の下書きの現代日本語訳、1939年8月1日

8月13日(日)午後2時からフッドリバーのアズベリー・メソジスト教会で行われる安井剛と景山美喜江の結婚式への招待状の下書きの現代日本語訳。式後の日本会館での祝賀茶会の詳細を記した追記を含む。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Shidzuyo, 1886-1960

安井兄弟商会の広告の現代日本語訳

オレゴン州フッドリバーの安井兄弟商会の広告の現代日本語訳。広告には、同店が薄利多売方針の一環として、現金販売に特別な割引を提供することが記載されている。また、クレジット販売について、より便利になるように最善の方法を用いるとし、消費者に商品の質と量に細心の注意を払うよう促している。翻訳されていない追加ページは、他店の広告である。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui Brothers Store (Hood River, Or.)

安井兄弟商会の広告の現代日本語訳

オレゴン州フッドリバーの安井兄弟商会の広告の現代日本語訳。日米の雑貨・食料品、土地売買・住宅賃貸、傷害・健康・生命保険、高級ホテル、農地・都市労働者斡旋などが案内されている。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui Brothers Store (Hood River, Or.)

大坪Kから安井益男への手紙の現代日本語訳、1916年7月2日

大坪Kから安井益男への1916年7月2日付けの手紙の現代日本語訳。 大坪は、旭チームが同日午後4時50分の列車に乗り同日中に帰宅できるように、シアトル旭チームとフッドリバーチームとの野球試合の開始時間を、午後2時30分から午後2時に変更することを要請している。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Otsubo, K.

大坪Kから安井益男への手紙の現代日本語訳、1916年6月27日

大坪Kから安井益男への 1916年6月27日付けの手紙の現代日本語訳。その中で大坪は、シアトルの旭野球チームが7月4日にフッドリバーで試合をしたいので、益男に地元の野球クラブと交渉して手配するよう要請している。   
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Otsubo, K.

在ポートランド日本帝国領事館からの日本の兵役徴兵に関する通知の現代日本語訳、1926年11月10日

1926年、在ポートランド日本帝国領事館から、日本兵として徴兵される人への通知の現代日本語訳。通知の内容は、徴兵適齢期および徴兵延期の申請が必要な者について、徴兵適齢期および徴兵延期申請の通知手続き、在留証明書の発給期間、在留証明出願手続き、在留登録など。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

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