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野地吉蔵から安井益男への手紙の現代日本語訳 1916年4月30日

1916年4月30日付、野地吉蔵から安井益男への書簡の現代日本語訳。野路は、妻の渡米を手配してくれた安井に感謝している。野地は1916年7月12日、ワシントン州シアトルで妻・アサヨと結婚した。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Noji, Kichizo, 1884-1968

藤本廉一から安藤美智への手紙の現代日本語訳、1950年12月

藤本廉一から安藤美智への1950年12月付けの手紙の現代日本語訳。この中で、廉一は美智にクリスマスプレゼントのお礼と、皆が健康で過ごせたことを祈ると伝えている。また、家族の近況や、正月用の餅つきのことや発送について詳しく説明している。
翻訳メモ:原文および英訳も掲載されている。

Fujimoto, Renichi, 1883-1965

藤本廉一から安井益男への手紙の現代日本語訳、1927年7月18日

藤本廉一から安井益男への1927年7月18日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で、廉一は益男に病気の回復具合を尋ね、自分の体に特別な注意を払い、元気になるようにと伝えている。また、賃金支払いのために、益男に5、6枚の小切手にサインするよう求めている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Fujimoto, Renichi, 1883-1965

藤本廉一から安井剛とミキへの手紙の現代日本語訳、1944年9月28日

藤本廉一から安井剛とミキへの 1944年9月28日付けの手紙の現代日本語訳。この中で廉一は、もうすぐ家に帰れると思うと述べ、シアトルから帰ってきた人たちがホテルを経営し始めていることに触れている。また、デンバーにいる稔が安井益男の仮釈放の手続きをしていることの他、家族各人の現状について伝えている。また、剛とミキに、モアに対して廉一が店の家賃について考えてから連絡すると伝えるように、また戦争移転局に家賃のコピーを求める手紙を送ることを頼むなど、家族や仕事のことについても確認している。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Fujimoto, Renichi, 1883-1965

藤本廉一から妻松代への手紙の現代日本語訳 1929年11月22日

藤本廉一から妻松代への 1929年11月22日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で廉一は松代に養母の死の知らせに深い悲しみを表現している。廉一はアメリカから横浜に到着し、神戸、岡山、七日市と移動する予定であることを伝え、松代を岡山で一泊して一緒に買い物をしようと誘う。ただし、これは死別のための訪問なので秘密にしてほしいと頼み、帰りに千代子を訪ねることができるとも伝えている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Fujimoto, Renichi, 1883-1965

空閑萬太郎から安井益男への手紙の現代日本語訳、1923年

空閑萬太郎から安井益男への1923年4月8日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で萬太郎は、自分の林檎園の敷地境界に関する紛争を解決するために、敷地境界に関する書類を確認し、切り倒された木がアーリー氏の敷地内にあることが判明した場合、もう一方の所有者であるアーリー氏(おそらくチャールズ・アーリー)に支払うよう益男に依頼している。萬太郎は直接会って話をしたいが、自分は散布の最中であるため、益男にあらかじめ自分の名前でアーリー氏に詳細を送るよう依頼している。この文書には、アーリー氏が空閑氏に宛てた1923年4月2日付の英文の書簡が添付されており、その中で、自分の所有地から木材が切り出されたこと、送金を要求することが書かれている。
翻訳注:この手紙は、原稿の原文と英訳が掲載されている。3ページ目の英文レターは未翻訳である。

Kuga, Mantaro

石川末吉から安井兄弟商会への手紙の抜粋の現代日本語訳、1921年4月

石川末吉から安井兄弟商会への1921年4月付けの手紙から抜粋されたものの現代日本語訳 。石川は、安井兄弟にヤップ島の支配権をめぐる緊張の高まりなど日米関係の見方を尋ね、米国が同胞の既得財産権を剥奪することへの安全上の懸念と不満を表明している。これらの行動は、日本の発展を妨げる口実を作るものであるとし、米国の傲慢さを強調するとともに、欧州、中国、韓国、ロシアにおける偽善の問題を強調している。その他、家族に関する近況や最近の病気など、手紙の内容は多岐にわたる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Ishikawa, Suekichi

石川幹から安井益男への手紙の現代日本語訳、1924年8月16日

1924年8月16日付の石川幹から安井益男への手紙の現代日本語訳。この手紙の中で石川は、橘高氏、そして自分自身のアメリカから日本への航海について述べている。裏面は、英語で印刷された夕食のメニューである。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Ishikawa, Motoki

松井頼定から安井益男への手紙の現代日本語訳、1927年3月8日

ポートランド領事館の松井頼定から安井益男への1927年3月8日付けの手紙の抜粋部分の現代日本語訳。 この手紙の中で松井は、日米親善を促進するための昼食会の効果について述べ、このイベントを報じた新聞記事が、排日土地法の緩和に関する世論に影響を与える一歩となったことを指摘している。また、排日土地案に反対しているフレッチャー下院議員に会うため、インディペンデンスに行く予定であることを述べている。また、オレゴン州ザ・ダレスでの日本語学校建設に関する最新情報も書かれている。松井はこの手紙では肩書きも領事館の公式文具も使っていない。              
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Matsui, Yorisada

木下利から安井益男への手紙2通の現代日本語訳、1918年

木下利から安井益男への手紙2通の現代日本語訳。最初の手紙では、木下が休戦記念日のシアトルでの活動を紹介し、スペイン風邪の状況について述べている。そして、日本に帰国するための出国許可証の到着を待つ間、益男に経済的援助を求める。2通目では、スペイン風邪がシアトルに与えた影響と妻の回復について述べ、益男の妻の安静と療養を願っている。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Kinoshita, Tadashi

志藤定太郎から安井兄弟への手紙の現代日本語訳

志藤定太郎が安井兄弟に宛てた手紙の現代日本語訳。志藤がシアトルから横浜に向かう途中、海が荒れて10日ほど到着が延びたこと、米国に帰国する予定があることなどが書かれている。手紙は1月5日に書かれたものだが、年は特定されていない。1920年から1940年の間に書かれたものと思われる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Shido, Jotaro

岡崎恕平の住民票申請書下書きの現代日本語訳、1916年11月

在ポートランド日本領事館に、家族の用事で日本に戻るための臨時パスポートの発行を依頼する岡崎恕平の在留届のコピー(下書き)の現代日本語訳。岡崎は香川県から移住し、オレゴン州フッドリバーに住居を構えていることが記されている。この書類と2枚目の草稿は安井益男が保管しており、安井が岡崎にこの申請を手伝ったものと思われる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Okazaki, Johei, approximately 1884-

小田梅七から安井益男への手紙の現代日本語訳、1924年頃

2月8日付の小田梅七から安井益雄への手紙の現代日本語訳。この手紙の中で小田は、暖かい春の到来とは対照的に、カリフォルニアの反日法がもたらした冷たい感情を論じている。また、3月か4月に日本へ帰国するため、金融機関の連絡先を教えてほしいとも書いている。この手紙は2月8日に書かれているが、年は特定されていない。カリフォルニア州の1924年移民法について触れていることから、1924年に書かれたものと思われる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Oda, Umeshichi

安井静代から安井剛とミキへの手紙の現代日本語訳。

安井静代から安井剛とミキへの9月5日付けの手紙の現代日本語訳。この中で静代は、家族としてのモージャーの農園を含む資産売却の契約条件や、弁護士との契約交渉について述べている。また、益男の仮釈放を求める手紙を書くなどの、自分と家族の努力についても触れている。そして、トシオ、稔、録、ホーマー、由加の近況についても触れており、稔が陸軍に入れなかったことに失望していること、トシオが司法試験に合格しなかったため稔とトシオが一緒に法律事務所を開設しようとの努力が実らなかったこと、ホーマーがミネソタ大学に入学すること、由加がウィスコンシンに行く予定であること、などを報告している。静代は、益男が1月までに帰宅できなければ、剛のところに戻るか、ミニドカのキャンプに行くことになるだろうとも書いている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Shidzuyo, 1886-1960

安井静代から安井剛、ミキ、ジョーニーへの手紙の現代日本語訳

安井静代から安井剛、ミキ、ジョーニーへの4月25日付けの手紙の現代日本語訳。この中で、稔がミニドカに行くこと、週が医学の勉強を終えるために軍から入隊延長許可を受けるための書類を提出する必要があることなど、家族の近況が報告されている。そして、ハリー・ウィルソンへのモージャー農場の売却について、また、最初の支払いが低すぎる場合は、一定数の果樹を植えるという条件について説明ししている。また、売却がうまくいかなかった場合、戦争移転局に家屋と収穫を管理する人を探してもらうよう依頼することについても話している。最後に、ジョーニーには由加の着なくなった着物を、剛にはハンカチを送ったと締めくくっている。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Shidzuyo, 1886-1960

安井録から藤本廉一と松代への手紙の現代日本語訳

安井録から藤本廉一と松代への2月22日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で録は、廉一と松代から送られてきた20円を受け取って大喜びしたことを伝えている。学校に行ってから一度も返事を書いていないことを謝り、勉強に励んでいると記している。廉一が自分と週をシカゴやイエローストーン公園に連れて行ってくれると話していた思い出を振り返っている。そして、廉一と松代が行けなかったことを悔やみ、いつか二人を世界中に案内してあげたいと思うと言い、これまでお世話になったことへの感謝の気持ちを伝えている。この手紙はノースウェスタン大学の便箋に書かれている。   
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Roku, 1922-1969

安井稔の履歴書の現代日本語訳

フッドリバー市の日米共栄協会理事長猪佐猪之助から1940年2月15日付けで在ポートランド帝国領事館宛に送られた、安井稔の履歴書の現代日本語訳。同文書には、オレゴン州弁護士資格試験に合格し、オレゴン州弁護士資格を取得したことなど、稔の学歴や業績が記載されている。また、オレゴン大学ロースクールからの英文の推薦状も添付されている。           
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Minoru, 1916-1986

安井益雄の履歴書とカバーレターの現代日本語訳、1939年

在ポートランド日本国総領事館の依頼により、安井益雄が日本工業会から日米関係改善への卓越した努力に対して贈られる賞への推薦に関して作成した履歴書とカバーレターの下書きの現代日本語訳。履歴書には、益男の日本での教育、渡米の理由、渡米後の経歴、コロンビア殖産会社の設立、オレゴン日本人会の設立、反日土地排除法案の成立阻止活動、日米協会の設立、日米工業協会から産業功労賞の受賞など、幅広い地域活動への参加などが記されている。また、安井兄弟の事業概要が添えられ、在ポートランド日本国総領事館へのカバーレターも含まれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。未翻訳の最後の2ページには、カバーレターの第2稿が含まれている。

Yasui, Masuo

安井益雄の安井由紀葬儀のスピーチの現代日本語訳、1922年

安井益雄の 1922年の安井由紀葬儀のスピーチの現代日本語訳。お見舞いや訪問、葬儀への参列に感謝の意を表し、夜空の星のように輝く由紀の姿を思い浮かべながら、由紀についての考察を述べている。なお、このスピーチの下書きが3ページ目から6ページ目にかけて書かれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益雄から浅井佐五郎への手紙 1946年1月18日

1946年1月に安井が出所した直後、安井益雄から浅井佐五郎に宛てた手紙の英訳。この手紙の中で安井は、浅井の友情に感謝し、第二次世界大戦中の日系アメリカ人の強制連行・強制収容に対する悲しみを述べている。また、オレゴン州フッドリバーのアメリカ退役軍人会が、地元の記念碑から日系人兵士の名前を削除した事件についても言及している。また、浅井の息子である正巳が米軍に入隊し、白人住民の反対を押し切ってフッドリバーに帰還したことを賞賛する。また、自分もフッドリバーに戻りたいという希望を語っている。翻訳注:この手紙は、原文と英訳もある。

Yasui, Masuo

安井益男のフッドリバー・アップル生産者組合理事への再選を知らせる手紙の現代日本語訳

安井益男がフッドリバー・アップル生産者組合の理事に最高得票数で再選されたことを知らせる手紙の現代日本語訳。また、協会の歴史や開票結果の補足についての概要も記載。3ページ目から5ページめには手紙の大まかな下書きが含まれている。
翻訳注:手紙の最終稿の原文と英訳も掲載されている。

Apple Growers Association (Or.)

安井益男が日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書きの現代日本語訳、1917年3月21日

安井益男が赤松(赤松祐之)日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書きの現代日本語訳。この手紙はフッドリバーの日本人住民一同からとして書かれたもので、オレゴン州上院議員ジョージ・R・ウィルバー氏(フッドリバー在住)が提出した日本人のオレゴン州での不動産所有を制限する法案を撤回するよう赤松領事が尽力したことに感謝する旨が述べられている。この法案は、カリフォルニア州で可決された同様の法案に倣ったものであった。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から金三商会への手紙の現代日本語訳、1917年2月10日

1917年2月10日付の安井益男から金三商会への手紙 。この手紙の中で安井は、カルシウムコーティングされたファンシーライス50俵の注文をし、米袋に安井兄弟の商標ロゴをステンシルすることを要求している。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から藤本廉一への手紙の現代日本語訳 1930年10月26日

安井益男から藤本廉一への1930年10月26日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で益男は、不況とその一般商業界への影響、今年の林檎と梨の収穫と市場、安井兄弟商会の新しい建物の正面ショーウィンドウの交換と歩道のリニューアルや2階の工事、レストランとガソリンスタンドのある新しい建物の賃貸契約、地価上昇につながるフッドリバーの街の外観に関する考察、柿沢氏からの長く熱い手紙を受け取ったこと、などを伝えている。その他の話題としては、廉一の米国への再入国に関するアドバイスや、町、家族、友人、果樹園の製品、ビジネス等の近況などが含まれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から藤本廉一への手紙の現代日本語訳

安井益男から藤本廉一への8月1日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で益男は、病気で休んでいる自分に対する廉一の思いやりに感謝し、家族の絆を大切にする気持ちを伝えている。病気から回復していることを伝え、シンクレア氏への火災保険料の支払いを依頼している。また、敬と剛を指導し、よく働かせるよう、廉一に依頼している。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

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