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安井益男から藤本廉一への手紙の現代日本語訳

安井益男から藤本廉一への手紙の現代日本語訳。この手紙の中で益男は、不況と市場への影響について、日本の経済状況と比較しながら最新情報を伝えている。そして、家族が農業の収入でなんとかやっていけることに感謝し、来年、再来年には景気が回復することを望んでいると述べている。また、安井ブラザーズ・マーカンタイルの新ビルの2階工事の進捗状況や、最新式の街灯、テキサコ・ステーションの成功、2~3年以内の郵便局建設など、街の変化についても最新情報を伝えている。その他の話題としては、一般的な経済状況、教会や友人に関する最新情報などが含まれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から藤本廉一への手紙の抜粋部分の現代日本語訳、1930年7月22日

安井益男から藤本廉一への1930年7月22日付けの手紙の現代日本語訳。 この手紙の中で益男は、敬が蚊に刺されたことが原因で病気になったが快復したこと、安井兄弟商会の新店建設の進捗状況と旧店を取り壊す前に全てを移転する予定、建物の特徴や空間の分け方、その年の不況を踏まえた総事業費等について述べている。また、家族、果樹園の商品、ビジネスに関する最新情報、反日感情の高まりに対する懸念、廉一が使用するべき英文レターのサンプルも含んでいる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から空閑萬太郎への手紙の抜粋部分の現代日本語訳

安井益男から空閑萬太郎への2月28日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で益男は、息子の敬の命日を振り返っている。そして、この2月27日は、自分と空閑一家が別れを告げた日でもあったと書いており、この日は家族にとって多くの思い出がある日であると結んでいる。この手紙には、空閑家の日本への帰国についての話や、安井の子供たちの近況も書かれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から片岡喜親への手紙の現代日本語訳、 1921年4月9日

安井益男から片岡よしちかへの1921年4月9日付けの手紙の現代日本語訳。この手紙の中で益男は、オレゴン州議会での土地排除法案の提出について述べている。法案が下院を賛成多数で通過したが上院を通過しなかった唯一の理由は、上院議員が日米交渉期間中に法案を一時延期するよう指示されたからだと述べている。益男は、立法府が近い将来反日法を可決してしまうのではないかという懸念を表明し、そのような排日法が近隣のカリフォルニア州やワシントン州ですでに存在しているという事実に注意を喚起した。彼は最後に、最後まで懸命に闘う決意を述べ、アメリカ人はどうしてこの国を公正で人道的な国家と呼べるのだろうかと疑問を投げかけた。その他の話題としては、共通の知人の近況、果樹園経営の難しさ、反日感情の高まりへの懸念などが書かれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から平岩淳三郎への手紙の現代日本語訳、1921年7月27日

1921年7月27日付の安井益男から平岩淳三郎への手紙から抜粋されたものの現代日本語訳。この抜粋部分では、オレゴン州議会での日本人排斥法案の状況について、益男は、法案が下院を多数で通過したものの、上院で僅差で否決されたことを指摘。また、カリフォルニア州やワシントン州では、すでに厳しい排日法案が制定されていることを強調し、近い将来、同様の法案が再び登場すると考えていることを述べている。続けて、労働賃金が下がり、一部の農産物が無価値になるなど、景気の低迷とビジネスの停滞について述べている。さらに、家族の近況、リンゴ市場の状況、反日運動の圧力など、さまざまなトピックが盛り込まれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から安井泰逸郎への手紙の現代日本語訳、1930年12月31日

安井益男から安井泰逸郎への1930年12月31日付けの手紙の抜粋部分の現代日本語訳。その中で益男は、剛と稔が年賀状発送を手伝ってくれている状況を描写し、今年最初の寒い夜であると伝えている。続けて、今年の不況がビジネスにどのような影響を及ぼしているのかについても述べている。益男はまた抜粋以外のページで、旅行や思い出、共通の知人の近況について書いた泰逸郎の手紙を読んでの感想を述べている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から安井泰逸郎への手紙の現代日本語訳

安井益男から安井泰逸郎への手紙の現代日本語訳。この手紙の中で益男は、子供たちの教育や業績について近況を報告している。敬から始まり、剛、稔、美智、録、周、ホーマー、由加と続く。8人の子供を育てるのは容易なことではなく、特に北米流と日本流の子育ての中間点を見出すのに苦労していると語っている。彼はまた、子育てがもたらす言いようのない喜びを強調し、正常でまともな人間を育てるという親の義務を強調している。その他、泰逸郎の6人の子供たちとの思い出、日米の子育ての違いについての意見、健康状態などについて述べている。                    
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井益男から友人宛ての手紙の現代日本語訳

安井益雄から氏名不明の友人への手紙の現代日本語訳。おそらく教会関係。この手紙の中で益男は、剛が大学時代の友人であるミルトンと大西の2人と一緒に帰宅したこと、そしてその後に行われた家族全員での元気で楽しい夕食のことを述べている。手紙には、益男の考えや家族についての近況も書かれている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

安井泰夫から安井敬への手紙の現代日本語訳

安井泰夫から安井敬への手紙の現代日本語訳。手紙の中で康夫は、家族の近況を報告し、敬に家族全員に日本への帰国を勧めてほしいと頼む。また、敬に自転車用の中古モーターを送るように頼んでいる。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。現代日本語訳は1ページ目のみ。2ページ目は添え状で、泰夫が書いた手紙であることを伝えている。 

Yasui, Yasuo

安井品太郎・つやから藤本廉一と安井益男への手紙、1916 年 11 月 16 日

1916年11月16日付の安井品太郎・つや夫妻から実子藤本廉一に宛てた、帰国を促す書簡の現代日本語訳。廉一の養父の死と養母の体調不良を記し、藤本家および廉一が渡米した際に日本に残った妻松代への義務を無視した蓮一を叱責している。文末には、安井益男と家族への手紙として、これまでの通信を認め、彼らの健康を祈っている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Tsuya

安井剛と景山美喜江の結婚式への招待状の下書きの現代日本語訳、1939年8月1日

8月13日(日)午後2時からフッドリバーのアズベリー・メソジスト教会で行われる安井剛と景山美喜江の結婚式への招待状の下書きの現代日本語訳。式後の日本会館での祝賀茶会の詳細を記した追記を含む。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Shidzuyo, 1886-1960

安井兄弟商会の広告の現代日本語訳

オレゴン州フッドリバーの安井兄弟商会の広告の現代日本語訳。広告には、同店が薄利多売方針の一環として、現金販売に特別な割引を提供することが記載されている。また、クレジット販売について、より便利になるように最善の方法を用いるとし、消費者に商品の質と量に細心の注意を払うよう促している。翻訳されていない追加ページは、他店の広告である。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui Brothers Store (Hood River, Or.)

安井兄弟商会の広告の現代日本語訳

オレゴン州フッドリバーの安井兄弟商会の広告の現代日本語訳。日米の雑貨・食料品、土地売買・住宅賃貸、傷害・健康・生命保険、高級ホテル、農地・都市労働者斡旋などが案内されている。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui Brothers Store (Hood River, Or.)

大西国孝から安井益男への手紙の現代日本語訳

大西国孝から安井益男への12月26日付けの手紙の現代日本語訳。大西は自己紹介をし、阿部豊治氏から益男を知った経緯を説明し、益男が大西の甥である一栄を指導してくれたことへの感謝の気持ちを述べている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Onishi, Kunitaka

大坪Kから安井益男への手紙の現代日本語訳、1916年7月2日

大坪Kから安井益男への1916年7月2日付けの手紙の現代日本語訳。 大坪は、旭チームが同日午後4時50分の列車に乗り同日中に帰宅できるように、シアトル旭チームとフッドリバーチームとの野球試合の開始時間を、午後2時30分から午後2時に変更することを要請している。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Otsubo, K.

大坪Kから安井益男への手紙の現代日本語訳、1916年6月27日

大坪Kから安井益男への 1916年6月27日付けの手紙の現代日本語訳。その中で大坪は、シアトルの旭野球チームが7月4日にフッドリバーで試合をしたいので、益男に地元の野球クラブと交渉して手配するよう要請している。   
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Otsubo, K.

在ポートランド日本帝国領事館からの日本の兵役徴兵に関する通知の現代日本語訳、1926年11月10日

1926年、在ポートランド日本帝国領事館から、日本兵として徴兵される人への通知の現代日本語訳。通知の内容は、徴兵適齢期および徴兵延期の申請が必要な者について、徴兵適齢期および徴兵延期申請の通知手続き、在留証明書の発給期間、在留証明出願手続き、在留登録など。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

中村豊一領事から安井益男への手紙の現代日本語訳、1934年12月19日

中村豊一領事から安井益男への1934年12月19日付けの手紙の現代日本語訳。 中村領事はこの手紙の中で、産業上の優れた功績に対して日本産業協会から益男が表彰されることを通知している。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Nakamura, Toyoichi, 1895-

三宅静代から藤本廉一への手紙の現代日本語訳、1910年7月1日   

1910年7月1日付の三宅静代から藤本廉一への手紙の現代日本語訳。手紙の中で、美しい果物の絵が描かれた手紙を受け取ったこと、弟の悦治と三郎の近況が記されている。また、廉一から届いた葉書の中の小刀について尋ね、続けてアメリカへの移住を希望していることが書かれている。静代は1912年に安井益男と結婚した。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Shidzuyo, 1886-1960

三宅から安井徳次郎への手紙と入国状況報告書の現代日本語訳、1922年頃

1922年9月、三宅家から安井徳次郎への手紙と、安井徳次郎が記入した出入国状況報告書の現代日本語訳。この手紙の中で三宅は、安井徳次郎の入国証明書と、領事との交渉のために安井徳次郎が記入する入国状況報告書について述べている。2枚目、3枚目は入国状況報告書で、経歴、事業、資産、家族などの情報が記載されている。申請の目的は、"妻と長女を呼び寄せるため "と記載されている。 翻訳注:原文および英訳も掲載されている。報告書のうち、回答が書かれている部分のみ翻訳されている。

Yasui, Tokujiro, 1878 or 1879-1966

ポートランド日本領事館から安井益男への手紙の現代日本語訳、1939年5月28日

1939年5月28日付で、ポートランド日本領事館の藤島健一領事から安井益男に宛てた手紙の現代日本語訳。日系社会への貢献に対する表彰を授与するために提出する個人情報の詳細を求める。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Fujishima, Kenichi

ポートランド日本領事館から安井益男への手紙の現代日本語訳、1930年11月17日

1930年11月17日付のポートランド日本領事館から安井益男への手紙の現代日本語訳。領事館の公式便箋に印刷された手紙には、安井益男の名前だけが手書きで書き込まれている。日本政府管轄の現地在住邦人調査への協力に対するお礼と、記念品として国勢調査の記章を送付することが記されている。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

ポートランド市日本協会の卒業祝賀会で安井稔が述べた謝辞「米国のために、米人と生死を共にする」の現代日本語訳、1936年頃

1936年頃の央州日報の新聞記事で、ポートランド日本協会が主催したオレゴン州立大学の優秀な卒業生を表彰するイベントでの安井稔のスピーチがまとめられている。このスピーチの中で安井は、アメリカ社会における日系人の役割について述べている。現代日本語訳。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Minoru, 1916-1986

オレゴン州日本人会から安井益男への手紙の現代日本語訳

オレゴン州日本人会から安井益男への手紙の現代日本語訳。オレゴン州日本人会教育部が、フッドリバー、パークデール、ディーを訪問し、この地域の第二世代の教育に役立てるため、コミュニケーションを確立することを提案している。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Japanese Association of Oregon

イチゴ生産収益報告書の現代日本語訳、1919-1924

1919年から1924年までのイチゴ栽培の費用、収入、支出をまとめた安井益男の手書きの報告書の現代日本語訳。カテゴリは、エーカー、労働賃金、経費、家賃または税金、収穫量、イチゴの総収入等。
翻訳注:原文および英訳も掲載されている。

Yasui, Masuo

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