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Oregon Japanese
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安井静代から安井剛とミキへの手紙

安井静代から安井剛とミキへの9月5日付けの手紙。この中で静代は、家族としてのモージャーの農園を含む資産売却の契約条件や、弁護士との契約交渉について述べている。また、益男の仮釈放を求める手紙を書くなどの、自分と家族の努力についても触れている。そして、トシオ、稔、録、ホーマー、由加の近況についても触れており、稔が陸軍に入れなかったことに失望していること、トシオが司法試験に合格しなかったため稔とトシオが一緒に法律事務所を開設しようとの努力が実らなかったこと、ホーマーがミネソタ大学に入学すること、由加がウィスコンシンに行く予定であること、などを報告している。静代は、益男が1月までに帰宅できなければ、剛のところに戻るか、ミニドカのキャンプに行くことになるだろうとも書いている。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Shidzuyo, 1886-1960

安井稔の履歴書

フッドリバー市の日米共栄協会理事長、猪佐猪之助から1940年2月15日付けで在ポートランド帝国領事館宛に送られた、安井稔の履歴書。同文書には、オレゴン州弁護士資格試験に合格し、オレゴン州弁護士資格を取得したことなど、稔の学歴や業績が記載されている。また、オレゴン大学ロースクールからの英文の推薦状も添付されている。                         翻訳注:この手紙は現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Minoru, 1916-1986

安井益雄の履歴書とカバーレター、1939年

在ポートランド日本国総領事館の依頼により、安井益雄が日本工業会から日米関係改善への卓越した努力に対して贈られる賞への推薦に関して作成した履歴書とカバーレターの下書き。履歴書には、益男の日本での教育、渡米の理由、渡米後の経歴、コロンビア殖産会社の設立、オレゴン日本人会の設立、反日土地排除法案の成立阻止活動、日米協会の設立、日米工業協会から産業功労賞の受賞など、幅広い地域活動への参加などが記されている。また、安井兄弟の事業概要が添えられ、在ポートランド日本国総領事館へのカバーレターも含まれている。
翻訳注:この文書は現代日本語と英語に翻訳されている。未翻訳の最後の2ページには、カバーレターの第2稿が含まれている。

Yasui, Masuo

安井剛と景山美喜江の結婚式への招待状の下書き、1939年8月1日

8月13日(日)午後2時からフッドリバーのアズベリー・メソジスト教会で行われる安井剛と景山美喜江の結婚式への招待状の下書き。式後の日本会館での祝賀茶会の詳細を記した追記を含む。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

ポートランド日本領事館から安井益男への手紙、1939年5月28日

1939年5月28日付で、ポートランド日本領事館の藤島健一領事から安井益男に宛てた手紙。日系社会への貢献に対する表彰を授与するために提出する個人情報の詳細を求める。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

ポートランド日本協会の卒業祝賀会で安井稔が述べた謝辞「米国のために、米人と生死を共にする」(1936年頃)

1936年頃の央州日報の新聞記事で、ポートランド日本協会が主催したオレゴン州立大学の優秀な卒業生を表彰するイベントでの安井稔のスピーチがまとめられている。このスピーチの中で安井は、アメリカ社会における日系人の役割について述べている。                     翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Minoru, 1916-1986

中村豊一領事から安井益男への手紙、1934年12月19日

中村豊一領事から安井益男への1934年12月19日付けの手紙。 中村領事はこの手紙の中で、産業上の優れた功績に対して日本産業協会から益男が表彰されることを通知している。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

故安井敬の葬儀委員会名簿

故安井敬の葬儀委員会名簿。名簿の見出しには、委員長、会計、受付、接待委員、会場委員、交通委員、写真委員が含まれている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

安井益男から安井泰逸郎への手紙、1930年12月31日

安井益男から安井泰逸郎への1930年12月31日付けの手紙。その中で益男は、剛と稔が年賀状発送を手伝ってくれている状況を描写し、今年最初の寒い夜であると伝えている。続けて、今年の不況がビジネスにどのような影響を及ぼしているのかについても述べている。益男はまた、旅行や思い出、共通の知人の近況について書いた泰逸郎の手紙を読んでの感想を述べている。
翻訳注:この手紙の抜粋部分は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

安井益男から藤本廉一への手紙

安井益男から藤本廉一への手紙。この手紙の中で益男は、不況と市場への影響について、日本の経済状況と比較しながら最新情報を伝えている。そして、家族が農業の収入でなんとかやっていけることに感謝し、来年、再来年には景気が回復することを望んでいると述べている。また、安井ブラザーズ・マーカンタイルの新ビルの2階工事の進捗状況や、最新式の街灯、テキサコ・ステーションの成功、2~3年以内の郵便局建設など、街の変化についても最新情報を伝えている。その他の話題としては、一般的な経済状況、教会や友人に関する最新情報などが含まれている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

ポートランド日本領事館から安井益男への手紙、1930年11月17日

1930年11月17日付のポートランド日本領事館から安井益男への手紙。領事館の公式便箋に印刷された手紙には、安井益男の名前だけが手書きで書き込まれている。日本政府管轄の現地在住邦人調査への協力に対するお礼と、記念品として国勢調査の記章を送付することが記されている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

安井益男から藤本廉一への手紙、1930年10月26日

安井益男から藤本廉一への1930年10月26日付けの手紙。この手紙の中で益男は、不況とその一般商業界への影響、今年の林檎と梨の収穫と市場、安井兄弟商会の新しい建物の正面ショーウィンドウの交換と歩道のリニューアルや2階の工事、レストランとガソリンスタンドのある新しい建物の賃貸契約、地価上昇につながるフッドリバーの街の外観に関する考察、柿沢氏からの長く熱い手紙を受け取ったこと、などを伝えている。その他の話題としては、廉一の米国への再入国に関するアドバイスや、町、家族、友人、果樹園の製品、ビジネス等の近況などが含まれている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

安井益男から藤本廉一への手紙、1930年7月22日

安井益男から藤本廉一への1930年7月22日付けの手紙。 この手紙の中で益男は、敬が蚊に刺されたことが原因で病気になったが快復したこと、安井兄弟商会の新店建設の進捗状況と旧店を取り壊す前に全てを移転する予定、建物の特徴や空間の分け方、その年の不況を踏まえた総事業費等について述べている。また、家族、果樹園の商品、ビジネスに関する最新情報、反日感情の高まりに対する懸念、廉一が使用するべき英文レターのサンプルも含んでいる。
翻訳注:この手紙の抜粋部分は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

松井頼定から安井益男への手紙、1927年3月8日

ポートランド領事館の松井頼定から安井益男への1927年3月8日付けの手紙。 手紙の中で松井は、日米親善を促進するための昼食会の効果について述べ、このイベントを報じた新聞記事が、排日土地法の緩和に関する世論に影響を与える一歩となったことを指摘している。また、排日土地案に反対しているフレッチャー下院議員に会うため、インディペンデンスに行く予定であることを述べている。また、オレゴン州ザ・ダレスでの日本語学校建設に関する最新情報も書かれている。松井はこの手紙では肩書きも領事館の公式文具も使っていない。
翻訳メモ:この文書の抜粋部分が現代日本語と英語に翻訳されている。

Matsui, Yorisada

オレゴン州日本人会から安井益男への手紙

オレゴン州日本人会から安井益男への手紙。オレゴン州日本人会教育部が、フッドリバー、パークデール、ディーを訪問し、この地域の第二世代の教育に役立てるため、コミュニケーションを確立することを提案している。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Japanese Association of Oregon

在ポートランド日本帝国領事館からの日本の兵役徴兵に関する通知、1926年11月10日

1926年、在ポートランド日本帝国領事館から、日本兵として徴兵される人への通知。通知の内容は、徴兵適齢期および徴兵延期の申請が必要な者について、徴兵適齢期および徴兵延期申請の通知手続き、在留証明書の発給期間、在留証明出願手続き、在留登録など。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Japan. Sōryōjikan (Portland, Or.)

三宅から安井徳次郎への手紙と入国状況報告書、1922年頃

1922年9月、三宅家から安井徳次郎への手紙と、安井徳次郎が記入した出入国状況報告書。この手紙の中で三宅は、安井徳次郎の入国証明書と、領事との交渉のために安井徳次郎が記入する入国状況報告書について述べている。2枚目、3枚目は入国状況報告書で、経歴、事業、資産、家族などの情報が記載されている。申請の目的は、"妻と長女を呼び寄せるため "と記載されている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されており、報告書のうち、回答が書かれている部分のみ翻訳されている。

Miyake family

安井益男から平岩淳三郎への手紙、1921年7月27日

1921年7月27日付の安井益男から平岩淳三郎への手紙。この手紙の中で、益男は家族の近況を伝え、林檎市場の状況、オレゴン州議会での日本人排除法案の状況とそのような法案の増加に対する落胆、一部の農産物の経済的困難と価値の喪失、反日傾向の圧力について述べている。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

安井益男から片岡喜親への手紙 1921年4月9日

安井益男から片岡喜親への1921年4月9日付けの手紙。この手紙の中で益男は、オレゴン州議会での土地排除法案の提出について述べている。法案が下院を賛成多数で通過したが上院を通過しなかった唯一の理由は、上院議員が日米交渉期間中に法案を一時延期するよう指示されたからだと述べている。益男は、立法府が近い将来反日法を可決してしまうのではないかという懸念を表明し、そのような排日法が近隣のカリフォルニア州やワシントン州ですでに存在しているという事実に注意を喚起した。彼は最後に、最後まで懸命に闘う決意を述べ、アメリカ人はどうしてこの国を公正で人道的な国家と呼べるのだろうかと疑問を投げかけた。その他の話題としては、共通の知人の近況、果樹園経営の難しさ、反日感情の高まりへの懸念などが書かれている。                    翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

安井益男が日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書き、1917年3月21日

安井益男が赤松(赤松祐之)日本領事に宛てた反日法案撤回に伴う手紙の下書き 。この手紙はフッドリバーの日本人住民一同からとして書かれたもので、オレゴン州上院議員ジョージ・R・ウィルバー氏(フッドリバー在住)が提出した日本人のオレゴン州での不動産所有を制限する法案を撤回するよう赤松領事が尽力したことに感謝する旨が述べられている。この法案は、カリフォルニア州で可決された同様の法案に倣ったものであった。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

安井益男から金三商会への手紙 1917年2月10日

1917年2月10日付の安井益男から金三商会への手紙 。この手紙の中で安井は、カルシウムコーティングされたファンシーライス50俵の注文をし、米袋に安井兄弟の商標ロゴをステンシルすることを要求している。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

岡崎恕平の住民票申請書下書き、1916年11月

在ポートランド日本領事館に、家族の用事で日本に戻るための臨時パスポートの発行を依頼する岡崎恕平の在留届のコピー(下書き)。岡崎は香川県から移住し、オレゴン州フッドリバーに住居を構えていることが記されている。この書類と2枚目の草稿は安井益男が保管しており、安井が岡崎にこの申請を手伝ったものと思われる。
翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。
 

Okazaki, Johei, approximately 1884-

大坪Kから安井益男への手紙、1916年7月2日

大坪Kから安井益男への1916年7月2日付けの手紙。 大坪は、旭チームが同日午後4時50分の列車に乗り同日中に帰宅できるように、シアトル旭チームとフッドリバーチームとの野球試合の開始時間を、午後2時30分から午後2時に変更することを要請している。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Otsubo, K.

大坪Kから安井益男への手紙、1916年6月27日

大坪Kから安井益男への 1916年6月27日付けの手紙。その中で大坪は、シアトルの旭野球チームが7月4日にフッドリバーで試合をしたいので、益男に地元の野球クラブと交渉して手配するよう要請している。
翻訳注:この手紙は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Otsubo, K.

野地吉蔵から安井益男への手紙、1916年4月30日

1916年4月30日付、野地吉蔵から安井益男への書簡。野路は、妻の渡米を手配してくれた安井に感謝している。野地は1916年7月12日、ワシントン州シアトルで妻・アサヨと結婚した。                        翻訳注:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Noji, Kichizo, 1884-1968

安井益男から浅井佐五郎への手紙 1946年1月18日

1946年1月、安井が出所した直後に書かれた、安井益雄から浅井佐五郎への手紙。この手紙の中で安井は、浅井の友情に感謝し、第二次世界大戦中の日系アメリカ人の強制連行・強制収容に対する悲しみを述べている。また、オレゴン州フッドリバーのアメリカ退役軍人会が、地元の記念碑から日系人兵士の名前を削除した事件についても言及している。また、浅井の息子である正巳が米軍に入隊し、白人住民の反対を押し切って先頭に立ってフッドリバーに帰還したことを賞賛する。また、自分もフッド・リバーに戻りたいという希望を語っている。翻訳メモ:この文書は、現代日本語と英語に翻訳されている。

Yasui, Masuo

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